2011年 09月 10日
価値の本質.1 |
真面目な話を、させて頂きます。
物の価値観というのは、人それぞれだとは思います。
ただその人が持つ価値観と、本来持つ価値にギャップが起こり得えます。
何故、そのようなことが起きるのか、ちょっと考えてみます。
まず、物には価値という概念が存在します。
それは物を絶対的・相対的に図る指標のようなもので、
どのようなものにも確実に存在しています。
無価値と言われるものも、価値がゼロなだけで、
価値という概念がないわけではありません。
また、価値というのは人によって様々でもあります。
そこら辺に落ちている石ころに対して、
その値段を「無価値」と判断する人もいれば、
「すごい価値」があると判断する人もいます。
そして、その人の感性以外に、
その物に対する知識の有無によって、
価値というものは大きく変わることがあります。
先ほどの例で出した石に対して、
「実をいうとコレ、ダイヤの原石なんですよ」
なんていうと
先ほどまでその石を「無価値」といってた人が
石に対して「ダイヤの原石という価値」を見出します。
ただの一言で、価値というものは変化します。
その石が本当に「ダイヤの原石」であるかないか、
というのは関係なく、その人にとっての価値は変化してしまうのです。
物があって、それには必ず価値がある。
ただし、その価値というのは一見絶対的に見えて、
人それぞれ、知識という見方をすれば絶対じゃない。
なんか、ちょっと不思議ですね。
*今回のブログは一度書いたものに対して、
文章を変更したのち転載したものです。
物の価値観というのは、人それぞれだとは思います。
ただその人が持つ価値観と、本来持つ価値にギャップが起こり得えます。
何故、そのようなことが起きるのか、ちょっと考えてみます。
まず、物には価値という概念が存在します。
それは物を絶対的・相対的に図る指標のようなもので、
どのようなものにも確実に存在しています。
無価値と言われるものも、価値がゼロなだけで、
価値という概念がないわけではありません。
また、価値というのは人によって様々でもあります。
そこら辺に落ちている石ころに対して、
その値段を「無価値」と判断する人もいれば、
「すごい価値」があると判断する人もいます。
そして、その人の感性以外に、
その物に対する知識の有無によって、
価値というものは大きく変わることがあります。
先ほどの例で出した石に対して、
「実をいうとコレ、ダイヤの原石なんですよ」
なんていうと
先ほどまでその石を「無価値」といってた人が
石に対して「ダイヤの原石という価値」を見出します。
ただの一言で、価値というものは変化します。
その石が本当に「ダイヤの原石」であるかないか、
というのは関係なく、その人にとっての価値は変化してしまうのです。
物があって、それには必ず価値がある。
ただし、その価値というのは一見絶対的に見えて、
人それぞれ、知識という見方をすれば絶対じゃない。
なんか、ちょっと不思議ですね。
*今回のブログは一度書いたものに対して、
文章を変更したのち転載したものです。
by raityoueu
| 2011-09-10 23:09
| 日々思うこと